延暦二十三年(八〇四年)七月、最澄、空海、霊仙が乗った第18次遣唐 使船団が唐へ向け船出した。 最澄、空海は目的を達したとして、在唐二年 に満たずに帰国したが、霊仙は唐に残り、憲宗皇帝の寵愛を受けて 『大乗生心地観経』を翻訳した。 その功により、日本人で初めて三蔵法師 の地位を得たのだったが、その年の元旦の祝宴で、憲宗皇帝が寵愛していた宦官に暗殺さ れ、庇護者を失った霊仙の運命も急変する。 霊仙はやむなく、中国の聖地とされる五台山へ落ち延びるのだが・・・・・・
蝶 柱 一 船 団 生 ま れ 女 部 落 直という女 唐大陸へ 長 安 薬子の変と嵯峨天皇 再 会 葬られた皇帝 怨 念 ウータンシャン(五台山)へ 届けられた黄金 蝶 柱 二 ・ 終 章 付記 霊仙三蔵とその顕彰活動 江竜喜之 1、霊仙三蔵とその出身地 2、霊仙三蔵顕彰の諸活動 3、「霊仙三蔵顕彰の会」設立と諸活動 4、霊仙山と松尾寺
水野 清(みずの きよし) 1931年(昭和6年)東京生まれ。 立教大学文学部英米文学科に学ぶ。 日本映画テレビプロデューサー協会、功労会員。 劇場用劇映画制作、NHK・民放各社で海外ロケのドキュメンタリー番組制作。